茶事の礼状
今月初めに茶事に招かれた。
マンション内に作られた新しい茶室で素敵な時を過ごした。
その茶事について書こうて思うたらたくさん書けるんやけどその気はない。
お茶事に招かれたときは先ず前礼をする。
本来は前日までに相手を訪ねて玄関先でお招きの礼を述べる。
けどそれって、準備に忙殺されてる亭主にしたらはっきり言うて迷惑やん。
そもそもこの日にしたいけどどないって聞かれて大丈夫と答える。
それで決まったとしたら、何で前礼が要るんかなぁ。
行くって約束したんやったら約束を守るんは当然やん。
まぁ確かに、ほんまに来てくれるかどうか不安になるのは判らんでもないけど。
お茶事が終わったら時を置かずに後礼に行く。
本来は翌日か翌々日にお宅まで伺って玄関先で礼の口上を述べる。
けど、これまた片付けやら疲れやらで大変な亭主からしたら大迷惑。
間を置かずに会う機会があるんやったら、その時に礼を言うたら十分やと思う。
まぁ確かに、それやと丁寧さが足りひんような気がせんでもない。
電話やと相手がその時何をしてるかお構いなしやからやっぱり迷惑。
せやから手紙を書いて出すてゆうのが一番。
今ではそれが茶事に招かれた客の礼儀とされてる。
んー、現代はメールもええ選択肢やと思うな。
何より気軽やし、ほとんどリアルタイムで届くから。
けど、茶の湯ってゆう特殊事情を考えたらちょっと安直な軽さは否めへん。
やっぱり手紙がええのかな。
便箋に筆ペンや万年筆のペン字でもええし、しんどかったらハガキでもええやん。
PCで打ち出したような活字やなくて手書きの方が味わい深くてええ。
ベストなんは巻紙で毛筆やろね。
でけたら行書でさらさらと書かれたんが恰好ええ。
とまあ、偉そうに書いたんやけど私自身がそれをでけてない情けなさ。
冒頭に書いた茶事ではこの礼状を書きそびれてしもた。
お茶の作法を教えるのが茶道教授やないのかとお叱りを受けた。
それよりも、ちゃんとした手続きを踏んでくれへんのは何故やろうかと、
悲しい思いをさせてしまったに違いないのがとても申し訳ない。
弁解の余地なしです。
理由は色々あるけど単なる言い訳にすらならへん。
ひたすら謝って、
余りに遅きに失するとは判りながら後礼の手紙を書いた次第。
内容は普通の手紙と同じ。
頭語のあと季節の挨拶から始まって、お招きのお礼を書き、
相手の方のことに触れて感想を述べ、礼を言う。
結語の後に日付を入れて署名。
少し間をあけて宛名を入れる。
書き始めと書き終わりは一折分空間をとること。
一文字か二文字分空けて行頭を揃えて書くこと。
畳んだ時に相手の名が一折の中間になるように巻くこと。
この手の手紙は句読点も濁音半濁音も使わへん方がそれらしくなる。
こまめに墨継して全部を濃い色で書いてももええねんけど、
かすれてもしばらく我慢して時々墨を継ぎ足すようにして書いたら、
墨の濃淡がちょっとした景色になって綺麗に見える。
書いてる途中で気が付いた。
私は自分の字が嫌いなんやと。
何となく綺麗そうに上手そうに見えるように、わざとらしく崩し字を多用する。
或いは下手さ加減が判り難くなるように意図的に崩して書いてるのが鼻につく。
ちゃんと師について練習したらええのにそれはせんと誤魔化しでやり過ごしてる。
あぁ、私が筆不精なんはそんな自分が嫌いでもあるからなんやなぁ。
もう少し、時々はちゃんと手本を見て練習もして、
大切な人に気持ちを伝えるためにやっぱり手紙を書きたいなぁ。
この次こそは時機を外すことなく。
そんな風に思った。
にほんブログ村 ← ほんとに反省してます。
マンション内に作られた新しい茶室で素敵な時を過ごした。
その茶事について書こうて思うたらたくさん書けるんやけどその気はない。
お茶事に招かれたときは先ず前礼をする。
本来は前日までに相手を訪ねて玄関先でお招きの礼を述べる。
けどそれって、準備に忙殺されてる亭主にしたらはっきり言うて迷惑やん。
そもそもこの日にしたいけどどないって聞かれて大丈夫と答える。
それで決まったとしたら、何で前礼が要るんかなぁ。
行くって約束したんやったら約束を守るんは当然やん。
まぁ確かに、ほんまに来てくれるかどうか不安になるのは判らんでもないけど。
お茶事が終わったら時を置かずに後礼に行く。
本来は翌日か翌々日にお宅まで伺って玄関先で礼の口上を述べる。
けど、これまた片付けやら疲れやらで大変な亭主からしたら大迷惑。
間を置かずに会う機会があるんやったら、その時に礼を言うたら十分やと思う。
まぁ確かに、それやと丁寧さが足りひんような気がせんでもない。
電話やと相手がその時何をしてるかお構いなしやからやっぱり迷惑。
せやから手紙を書いて出すてゆうのが一番。
今ではそれが茶事に招かれた客の礼儀とされてる。
んー、現代はメールもええ選択肢やと思うな。
何より気軽やし、ほとんどリアルタイムで届くから。
けど、茶の湯ってゆう特殊事情を考えたらちょっと安直な軽さは否めへん。
やっぱり手紙がええのかな。
便箋に筆ペンや万年筆のペン字でもええし、しんどかったらハガキでもええやん。
PCで打ち出したような活字やなくて手書きの方が味わい深くてええ。
ベストなんは巻紙で毛筆やろね。
でけたら行書でさらさらと書かれたんが恰好ええ。
とまあ、偉そうに書いたんやけど私自身がそれをでけてない情けなさ。
冒頭に書いた茶事ではこの礼状を書きそびれてしもた。
お茶の作法を教えるのが茶道教授やないのかとお叱りを受けた。
それよりも、ちゃんとした手続きを踏んでくれへんのは何故やろうかと、
悲しい思いをさせてしまったに違いないのがとても申し訳ない。
弁解の余地なしです。
理由は色々あるけど単なる言い訳にすらならへん。
ひたすら謝って、
余りに遅きに失するとは判りながら後礼の手紙を書いた次第。
内容は普通の手紙と同じ。
頭語のあと季節の挨拶から始まって、お招きのお礼を書き、
相手の方のことに触れて感想を述べ、礼を言う。
結語の後に日付を入れて署名。
少し間をあけて宛名を入れる。
書き始めと書き終わりは一折分空間をとること。
一文字か二文字分空けて行頭を揃えて書くこと。
畳んだ時に相手の名が一折の中間になるように巻くこと。
この手の手紙は句読点も濁音半濁音も使わへん方がそれらしくなる。
こまめに墨継して全部を濃い色で書いてももええねんけど、
かすれてもしばらく我慢して時々墨を継ぎ足すようにして書いたら、
墨の濃淡がちょっとした景色になって綺麗に見える。
書いてる途中で気が付いた。
私は自分の字が嫌いなんやと。
何となく綺麗そうに上手そうに見えるように、わざとらしく崩し字を多用する。
或いは下手さ加減が判り難くなるように意図的に崩して書いてるのが鼻につく。
ちゃんと師について練習したらええのにそれはせんと誤魔化しでやり過ごしてる。
あぁ、私が筆不精なんはそんな自分が嫌いでもあるからなんやなぁ。
もう少し、時々はちゃんと手本を見て練習もして、
大切な人に気持ちを伝えるためにやっぱり手紙を書きたいなぁ。
この次こそは時機を外すことなく。
そんな風に思った。
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